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駅から5分ほど歩くと電脳廟の町にたどり着いた。町に着くまでには麦畑が広がっていた。第4工都で食べていたパンの原料はここにあるのかもしれないとミホは思う。町の中に入ると路地は狭く、喫茶店や居酒屋、クリーニング屋などが立ち並ぶ。ミホは見慣れない景色を眺めながら蝶の後ろを歩く。交差した路地の角に立て札があり、電脳廟まで1kmと書いてある。町に入り込んでからこの立て札を時折見かけるが、蝶は迷わず立て札の矢印の方向へ飛んでいく。どうやら電脳廟というのはこの小さな町の名前であり、これから向かう場所のことでもあるらしい。歩くにつれて町の反対側にある小さな山がはっきりと見えてくる。あの山が電脳廟なのだろうか。
町を反対側まで歩ききると、目の前に山があり登山道が見える。蝶の後についてミホは山を登り始めた。しばらく森の中を歩くと、開けた場所に出る。そこは平地になっていて、向こうに白いドームが見える。蝶は白いドームのほうへと飛んでいった。後を追いかけようとしたミホは視界の隅に何かを見つける。山の斜面に小さな山小屋があり、周囲の地面が光って見える。近くまで歩いたミホは立ちすくんだ。山の斜面には無数の蝶の死骸が降り積もっていた。その全てが青い透明な羽をもっていて、ミホとここまで一緒にきた蝶と同じものだとわかる。山小屋の煙突からは煙が出ていた。ミホは山小屋の表にまわり様子を伺う。山小屋への道には蝶の死骸が落ちていない。誰かが箒で掃いたのだろうか。山小屋の扉の横にはガラス細工・アクセサリーと書いた立て札がある。ミホは山小屋の扉をゆっくりと開けた。
山小屋の中は大小のガラス細工でいっぱいだった。小さな花瓶からブレスレットまであらゆるものがある。奥にかまどがあり老人が背を向けて座っている。
「すみません」
ミホは声をかけた。振り返った老人がにこりと笑う。
「いらっしゃい、どうぞゆっくり見ていってください」
ミホはテーブルに並べられたアクセサリーを眺めて、それらがどれも薄い青色をしていることに気づく。
「それはね、電子蝶の羽のガラスを使っていましてね」
老人が立ち上がってゆっくりと歩いてくる。
「もしかして、外にたくさんあった蝶の死骸から?」
「そう、ところでお嬢ちゃんどこから?」
「第4工都から、その、電子蝶を追いかけてここまで来ました」
「第4工都。子供の頃に行ったことがあるなぁ」
「その電子蝶というのは、ここに集まってくるものなんですか?」
「そう、外にある白いドームは見たかな」
「はい」
「あれは電脳廟といって、地下に数世紀前の人達の人格データが保管してある。今よりも文明が栄えていた時代のね。詳しい記録は残っていないが、当時は科学技術によって不老不死が実現され始めていた。生身の脳の記憶を電子化して機械の脳、つまり電脳にコピーするんだ」
ミホは静かに老人の話を聞いていた。夕方になり山小屋の窓が入る夕陽の光がガラス細工を照らしている。老人は話を続けた。
「当時、多くの人達が死ぬ前に電脳に記憶をコピーした。しかし、機械の脳はまだとても高額で一生かけて働いた金が全てなくなるくらいだった。だからほとんどの人達は、電脳に記憶をコピーしたあと、機械の体を買う余裕がなかった。技術が発展して機械の体の価格が十分に下がったら、いつか電脳をそれに接続する契約を電脳業者と結んで生身の肉体を捨てたんだ。ところが、しばらくすると文明は後退し始め、精密な機械は作られなくなっていった。電脳業者も長い時の中で解散していったと言われている。」
「ところで、当時最も安価だった機械の体が何だったかわかるかな」
「もしかして...」
「そう、当時電脳を買ったあとの余った金で買えるハードウェアは電子蝶くらいだった。とは言っても電子蝶の電脳には完全な人格データを保存できるような容量はない。わずかな人格の断片があの蝶を動かしているんだ。それでも当時の人達はいつ来るかわからない目覚めの時を待つ間、自由に動ける体を確保しようとした。当時の科学技術で作られた電子蝶は数世紀の間飛び回り続けたが、ここ50年くらいで寿命がきて壊れるようになった。完全に壊れる前に本体の電脳が保管してある、電脳廟にやってくる習性があるらしい」
日が暮れて山小屋の中もひんやりとしてきた。
「電子蝶として生きてるのってどんな気分なんだろう」
ミホは老人に尋ねた。
「今となっては伝説に近いが昔の記録によると、常に夢の中にいるような感覚らしい」
ミホは山小屋でブレスレットを買って電脳廟を後にした。辺りはもう暗くなっている。帰りの電車に乗り、第4工都に着くまでの長い間、電車の窓から見える夜の海をずっと眺めていた。夜の海を照らす月とあの白いドームが何故か頭の中で重なった。もうあの場所に行くことはないだろう。第4工都の中で始まってそして終わるであろう自分の短い命に考えを巡らせる。そして、生きている静かな実感のようなものを感じた。